過信

Overconfidence

まもなく三十路に手が届くころだった。教育の荒廃が声高に叫ばれている中、
「若者と常に第一線で接する教育者でありたい」
心の奥底から湧き上がってくるその叫びに従い、それまでの職場を辞めた。
数年後、千葉大学という学び舎で、その道を歩む機会を授かった。

「能力はないが、情熱だけは誰にも負けない」
そう粋がって自分なりの愛情を目の前の若者たちに一身に注いできた。そこには仕事をしている感覚など全くなく、喜びと充実感に満ち溢れていた。情熱がかたちとなって実を結び、自信に繋がっていった。
そんないつしか、自信が変貌を遂げ、過信となっている事実に気付かずにいた。

昨年度末、「現在の自主ゼミをNPO法人にしたい」と 、ゼミ生たちに伝えた。かつてのように少人数ではなくなってしまったゼミ生達に、より効率的に成長する環境を提供するためにも、また、より良い国際交流を提供するためにも、ここで組織化する事が良策だと考えたからである。
私は、協力者を求めて奔走。ゼミ生たちもNPO化に向け走り出した。支援者も増え、形も整いつつあった。
しかし、私の心はなぜかまどろんでいた。

心のまどろみが何なのか。自問自答の日々が続いた。

そんな中、二人の「学び子」(ひとりごとVol.20ご参照)加藤圭輔と荒尾正義がメールを寄せてくれた。この二人との付き合いは、5年以上にも及ぶ。
私の長所も短所も、そして何より私の教育を体感してきた二人だ。

「先生の目指す教育から外れている」
この二人の力強いメッセージに目が覚める思いがした。

教育に「効率」は有り得ない。この私の持論に、自分で泥を塗ろうとしていた。周りが見えなくなり、今の自分の考えが一番だと思い上がっていた。
自信が過信となっていることを思い知った。
二人の戒めに心から感謝した。

「目の前の若者一人一人と膝を交える」
これが私流の教育の心髄だ。
この初心を忘れたとき、私は教育者でなくなる。
初心を忘れ、見失った自分を心から恥じた。
ゼミ生たちに深く頭を下げた。

現在、国立大学独立法人化に向け、改革の嵐の中にいる。私の今後の身分も不確定だ。

「正しいとは一度止まると書きます。」
かつて座禅寺で拝聴したお言葉を思い出す。
一度止まってみようと思う。過信に陥らないためにも。

西田自主ゼミナールの一幕を今年度末に引くこととした。

第二幕を正しく開けるために。

2003年4月
#044 過信
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