躾 ―挨拶から始めよう―

Manners -Start from greetings-

先日仕事で札幌に向かったときのことである。千歳空港から札幌市街へ向かうため、JRの快速電車を利用した。空港始発の電車ではあったが、席は全て塞がっていたため、車内中ほどの通路に立った。そこに小学校2年生ぐらいの男の子と、お父さんの親子連れが入ってきて私の前に立った。

発車してまもなく、その男の子が駄々をこね始めた。
「お父さん、まだ乗り物に乗るの。飛行機にも乗って疲れたよ。」
父親は子供をなだめようと、
「Kちゃん、もうちょっと頑張ろうね。ほら、外見てごらん。雪がきれいだよ。」などと言って、その場を繕っていた。
しかし、 発車して15分を過ぎた頃、男の子の我慢が限界に達した。
「もういい加減つかれた。どこか座るところないの!」と、
それまで以上に駄々をこね始めた。
すると近くに座っていた70歳代と思える女性が、
「僕座りなさい」と声をかけ、席を譲った。
その子供は待ってましたとばかりに、す〜っとその席に行って、ドンと座った。「有難うございます。」の言葉は、車内に響かなかった。
その女性に対し父親は、これまたことも簡単に軽く会釈をしただけで、その席の隣に移動した。そしてその数分後、信じられない光景を目にした。
父親本人がその席に座り、子供を自分の膝に抱きかかえたのである。
言葉を失った。

日々、特に都会の生活を続けていると、人々の行儀の悪さに腹の立つことばかりであるが、これには唖然とするしかなかった。悪い夢でも見ているんだ、と思いたかった。

時を同じくして、文部省から「家庭の教育力」に関する国際比較調査が発表された。我日本において、この「力」が他の諸外国に比べて劣っていることが指摘されていた。
あまりにも当然の結果で驚きもしなかった。上述の悪夢のような光景を目にしたばかりなので尚更のことである。

家庭の「躾」は、本当にどこへ行ってしまったのであろう。

人の話は無責任になるので自分の話をしたい。
私の父は、幼年時代の我々子供にとても厳しかった。
特に、挨拶は人と人とを結ぶ最も大切なことだと、朝の
「おはようございます」から始まって、就寝前の「おやすみなさい」まで、徹底的に「躾」られた。
乗り物に乗っても、座る順番は、祖父母→両親→子供と、歳の順にきちんと決められていた。(今は逆のケースをよく見かけるが)
大人からお菓子などをいただいて、食べたさ欲しさに袋を開けようとすると、「有難うございます」と言ってからだっと、よく叩かれた。
祖父母や母親、先生などに罵声を浴びせたり、罵ったりしようものなら、父親は吹っ飛んできて、ぶん殴られたものだ。
道理に反することをすると、いつでもどこでも人目を気にせず、叱り、叩き、時には殴ることも辞さない父であった。そうやって「躾」られ、それらは私の価値観となって私の心に根付いた。
今は、厳しく躾てくれた父親に心から感謝している。

家庭における教育の問題が指摘され始めてから久しい。世間を震撼させるような子供による犯罪が濫発し、政府も「心」の教育に焦点を当てた、教育全体のあり方の見直しに取り組み始めた。

「躾」をきちんと受けず、また「心」の扉をきちんと開け閉めできない若者たちが増えている。一教育者として、この事実をどのように受け止め、どのように取り組むべきか、頭を抱える日々である。

その中で、
「挨拶は人と人とを結ぶ最も大切なことだ」
という父の言葉を思い出す。
そして、私はこのことを実践し、気持ちの良い挨拶を常に心がけるよう児童、生徒、学生達に伝えている。ゼミの中でも「挨拶」を最も大切なこととして位置づけている。

気持ちの良い挨拶は人の心を拓くものであり、これこそ全世界に通ずる最も大切な「躾」ではなかろうか。

今日も元気に「おはようございます」から始めよう。

※このエッセイを書き始めたとき、私が人生の師匠と仰ぐ
横山総三先生が新たに御本を出版なさったと伺い拝読した。
「躾」についてもかなり触れていらっしゃる。是非ご一読あれ。

『日本を滅ぼしてなるものか』発行所・日新報道

2000年2月
#006 躾 ―挨拶から始めよう―
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